アカシジア

朝、無駄に葛藤するのをやめたらいいと気付いた。

家に居ようが、外に出ようが、やることはやるものだとすんなり受け入れられた。

習慣になってきたという事なのだろうと思う。

思考は手段ではあるけど、悪癖にもなり得る。

よい習慣が悪い習慣を駆逐したのだから良い事だと思う。

息は変に意識しすぎると過呼吸になるのと同じで、べき思考は習慣づけの切欠にはなり得るが、漫然延々と意識しすぎれば思考の癖になり、無駄な葛藤を毎朝呼び込む。

やることはやるものと思えれば、余暇も心を憂鬱に染めずに生き生きと羽を伸ばせる。

このすんなりとした心のスムーズさを忘れたくないのでここに書き残す。

 

行動の理由、学業や労働の必要、明日のやることもはっきりわかりきっていて、やればやっただけの結果も残せるのだから、無為にジレンマを見出すことは無かった。

今日は2日掛かろうと思われた作業を一人だけで半日で終わらせる事もできた。

今週は親が里帰りで、就職活動もあって、学校は文化祭で、家事やら何やら忙しい一週間だが、そういう刺激が閃きを与えてくれたのなら感謝すらできる。

しかし無理をすればダウンしがちな私だから、来週はペースを落として生きようと思う。

普通が一番難しいが、こうして自分の普通をだんだん作っていければいいと思う。

 

ところで、アカシジアが酷く、足をマッサージしたり、ストレッチしたり、散歩したりを強いられる。じっとしていられないのはつらいが、運動をしたいと思わせる所は悪い事でもない。

かわりにヒステリー球は引っ込んだ。喉のつかえが消えると、呼吸が楽だ。当たり前が戻るのは嬉しい。

 

習慣は力になる。ずっとこのままでは無いだろうが、上がり下がりしながらでも生活が続けばそれでいいと思う。