つらいと思ったら

うつでつらい人、俺みたいに変に空白期間を作るまいとフリーターやってみたり大学行ってみたり専門行ってみたりしないほうがいい。

しっかりと療養計画を立ててみたりしたほうがいい。

3年くらい休んだらいい。

毎日仕事や学校へ行くより毎日有酸素運動したらいい。

毎日つらくてもそのほうが回復ができるから得る物がある。

得る物のない苦役に身を置く必要はない。

おもえばいつも焦って急いで失敗ばかりしてきたが、また失敗を積み重ねようとしている。

つらさに耐えて毎日頑張っていたが、だんだんと膨れ上がって気付けば手に負えない抑鬱と不安、恐怖で目覚める朝、その朝が怖くて眠れぬ夜が今だ。

一体もがいて何が得られたんだろう。大人しく休んでいたらよかった。

俺は脳にキズの入った障害者だ。内側からロボトミーされた気狂いだ。

それがどうしてふつうの生活に溶け込むことができるんだ。どだい無理な話だった。

今、頭に浮かぶのは、自殺、強盗、退学、自殺、就職、休養、自殺、休養、不安、不安、不安、不安、不安、恐怖、不安、不安、不安、不安

こんな状態では何もできっこない。俺には何一つ成し遂げられない。

学校もただ言われたことを黙ってやっていればいいのならよかった。主体的学習が必要とされたり、自分の研究班に誰一人主体性のある者がおらず舵を取らされたり、もう限界なんだ。

これが精神病患者の現実だ。俺を買いかぶっていた人たちには残念だった。

この世の毒にしかならない腫物だ。今はただそっとしておいて欲しい。

今日親が包丁を落として足の指を切った瞬間、俺はこれ以上の血を流さないといけないと思った。死ぬためには。

ハローワークの求人を眺めながら強盗や窃盗について考えた。どちらも失敗することしか想像できない。

想像なんてあてにはならない。それは学生生活でよくわかっている。卒業できると高を括っていたのだから。

絶望しかない訳ではないけど、高卒で今までずっとフラフラしてきた俺はまたフラフラ期間とみなされる療養期間を取ろうとしている。いつもこいつに失敗するのだ。

つまり療養とは無い主体性を絞り出して計画するものなのだ。

カウンセリングとかを受けるだけじゃダメだ、受ける前に自己と向き合って要点を整理しなければ。

そもそも私はうつに関する書籍もろくに読んじゃいない。自分が発達障害だということばかり考えていたから二次障害の抑鬱躁状態をないがしろにしてきた。

俺はもっと健康で元気で健やかな自分になる。

ハイでもロウでもないフラットな健やかさを取り戻す。

そのために必要なものを調べ上げる。

俺は学業から逃げる。この無益な自分いじめをやめる。卒業できればそれは本当に良い事だったろうが無理だ。つらい、苦しい、逃げたい、吐きたい、やめたい、消えたい、死んでしまいたい。

もう限界なんだ。気付いたらもう限界になっていた。そんなものだ。過行くものであってもだ。限界なものは限界だ。死ぬよりはましだろう。揺れている。まだ心は揺れている。

不安増大など一過性とみてつらさに耐えて学校へ行く道。

この異常な不安と恐怖は完全に限界のサインだから手遅れになる前に休む道。

俺はこの行を書いている今しがたマイスリーの副作用のふわふわの中に入った。

休む道もまた過酷だがきちんとスケジュールを組んで翌日疲れの残らない有酸素運動、朝は映画鑑賞、昼は読書、夜はゲームだレクリエーションだなどとやって、記録するのだ。今日の自分は楽しかった、よかった、だるさがなかった、だるかった、眠かった、元気だった、そういったものを書き記していつか就職するときにでも見せるのだ、自分はこんなに頑張ったのだぞと、そのくらいの意気で低負荷の療養というのをやるのだ、

俺は元気になりたい、マイスリーでラリっている今なんてまやかしだ。ほんとの元気が欲しい。減薬を考えるまでの改善が欲しい。俺は健康になりたい。煙草も酒も減らそうじゃないか。なにせ夕方のけだるさや不安にはバーボンのショットが一番効くのだ。

ビールは良くない。胃酸が上がってくる。煙草を吸うと胃酸が上がってくる。文字通り反吐が出る。でも煙草はやめらんねえ。酒もバーボンはやめらんねえ。炭酸やジュースを控えている。朝食は何がいいのだろうか。普通に白米納豆ご飯でいいじゃないか。

卵焼きにウインナーも添えて作ろう。 昼は何がいいだろうか。牛丼でいいじゃないか。チーズものっけて味噌汁と一緒に食おう。夕飯は何でもいいじゃないか。家族みんなで食えば何でもうまい。

つらいと思ったらもう限界だったのだ。甘え、詐病、などなどくだらない下衆の勘繰りは気にはならない。

 

みな無益な苦役に勤しむこと勿れ

みな死にたもうこと勿れ

みな休むべし 有益たる役に勤しまん